無駄だと思っていたことを貴重な経験に変える。

後になって振り返ってみると「もうちょっと良いやり方あったな」と思うことが時々あります。

過ぎてしまったことは仕方ありませんが、そんなに悲観する必要はないのかなと。

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同じ結果でも過程次第で得られるものは違う

同じ結果なら得られるものは全て同じか

得られるものといえば、目に見える物から目に見えない経験や知識など、様々です。

欲しい物があるとしましょうか。

それだけ目当てに他には目もくれず買ってしまうケースと、他の物も十分検討して考えた結果買うケース。

最終的に買った物は同じでも、その過程で満足度は全然違います。

私はどちらかというと後者を選ぶ方が多いです。

本当に欲しいのか。必要なのか。十分検討して決断します。

いろんな可能性を考えて購入を決断するので手に入れた時の満足感はかなりのものです。

まぁ、その過程が楽しいというのもあるのですが。

そうなると必然的に時間は使います。

選んでいると楽しいので情報がどんどん入ってきます。

自然と詳しくなるし、今まで知らなかった知識が身についてきます。

それが話のきっかけになったりネタになったり、時間を使って得た知識が良い副産物になったりします。

あと、基本移動は車なのですが、時間に余裕がある時はあえて知らない道を通ったりします。

目的地の方角だけ間違わないように思うままに進んでいくと、知らない初めて通る道からいずれ知っている道につながります。

「あっ、この道ってここに繋がってるんだ」

「あっ、あの会社の工場ってここにあったんだ」

「いつも通っている道がベストだと思っていたのに、こっち通った方が車通りが少なくて混まないな」

と新たな気付きになることもしばしば。

こうやって自分の頭の中の地図がどんどんアップデートされていきます。

あえて遠回りなこともやってみるもんだなと。

もちろん早くするべきところはサッとやってしまいますが、自分が「これには時間をかけてもやってみたい」と思うものには時間を使った方が後悔も残らないので、積極的に時間を使って良いんじゃないかなと。

無駄を省くのも大事。でも無駄から得られることもある

『無駄(ムダ)』と聞くとマイナスなイメージが思い浮かびます。

が、ムダから得られるものもあるなと。

私も今では『物は必要な分だけ。買う時にしっかり検討してお気に入りの物だけを持つ』というのが浸透していますが、最初からそうではありませんでした。

それこそ、服は管理できないぐらいたくさん持っていました。

思い返すと「あの服の買い方はムダだったな…」と思いはしますが、その経験があるから今があるわけです。

当時の行動に『ムダだった』ということに気付き、変化しようと行動してその結果、今の自分があるわけです。

本当にやりたいことであれば思い切って経験した方が手っ取り早いです。

「やってみたいけれど、結果的にムダになるかもしれない」と思うものは、恐れずチャレンジしましょう。

「やってみたい!」というアクセルと「ムダになるかも…」というブレーキを天秤にかけるのであれば、私は自分の気持ちのアクセルを踏むことを優先します。

何に繋がるかわかりませんからね。

時間は有限ですが、巻き戻すこともできません。

「前にやっておけば良かった…」と後悔だけはしたくないので。

結局最後は「なんとかなる」

遠回りしようが時間がかかろうが、本当の意味で無駄になるようなことはそうそうないなと。

どんな形であっても経験して、何かに活かしてやればオールオッケー。

とにかく自分の気持ちに正直になって、やりたいことを我慢しない。自分を抑えつけないようにしています。

最近自分の中で気に入っている言葉があります。

「まぁ、なんとかなるよ」

今までなんとも思わなかった言葉ですが、最近この言葉を聞くと安心感を覚えます。

気に入ったものは使いたがりなので、会話でも良く発するようになった気がします。

「〇〇になったらどうしよう…」という不安が浮かんでも「まぁ。なんとかなるさ」と思えば不思議と楽になります。

そうすれば行動するハードルは下がって動きやすくなります。

行動した結果、失敗もするだろうし遠回りもするでしょう。

悲観することなく不安になるより、むしろ過程を楽しむぐらいでないとですね。

それでは、また次回。

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