「真似る」というとどういうイメージでしょうか。
マイナス(悪い)のイメージに捉えられることもあるかもしれません。
私は何か新しいことに挑戦したり、取り入れることに対しては積極的に誰か・何かを真似するようにしています。
「真似る」ことは「学ぶ」こと
「真似る」というのは「学ぶ」というのが語源になっているらしいです(知らんかったですが…)
思い返してみると、
小さい頃、野球を始めた時も当時の好きなプロ野球選手のバッティングフォームを真似してみたり
受験生の時は勉強の進め方や解き方などを経験者の方法を真似てみたり
周りで電卓を左で打っている人を見て、私も右手から左手に変えてみたり
講師を始めた頃も、最初は先輩講師のいろんな講義を見て真似ようとしていました(話し方、仕草など)
何かを始める時は最初は必ず「真似る」ことからしているなと。
真似る対象は会ったことが無いような憧れの人から身近な人まで様々です。
身近な人だったら「それいいですね。真似させてもらっても良いですか?」と堂々と言ってます。
これまでそのように言って悪い顔されたことはありません。
良い悪いは一旦そっちのけで「やってみて判断する」
どうしていいかわからくて足踏みするぐらいだったら「とりあえず真似してでもやってみて前に進む」
そのぐらいの気持ちなので、真似はどちらかというと積極的にするべきと個人的に感じています。
私も今ブログを書いていますが他のブロガーさんの記事を読んで、参考になるところはどんどん真似させてもらっています。
「良いと思うものはどんどん取り入れたい」という気持ちが強ければ強いほど周囲を敏感に観察するので、より真似することも増えてくるのではないかと思っています。
真似してアレンジ(個性)を出す
最初はそっくりそのまま真似していたことも、自分に馴染んでくるとアレンジ(個性)も次第に出てきたりします。
「このやり方はこっちの方が良いのではないかな」
「このやり方の方が自分はしっくりくるな」
「ちょっと変えてみて、このやり方だったらどうかな」
時間と経験がついてくると、だんだん自分らしさ(こだわり?)が出てくるものです。
むしろやるならそこまで徹底してやってみないといけないと思います。
真似したことが、そのまま自分に当てはめてしっくりくるものばかりではありません。
かといって何も土台もなく、いきなり自分のベストを見つけるのも難しいです。
だったら経験者や成功体験者を真似するところから始めてみるのも、一つの手段なのかなと。
今は情報やノウハウを収集しやすい
今はこのようなブログやSNS、動画配信サービス等から情報収集が容易な世の中になっています。
もちろんデメリットもあり、自分にとって良い情報、そうでない情報との取捨選択も大事になってきます。
ですが、情報が入ってきやすい環境というのはメリットとして有意義に活用したいところ。
気になる情報があったら積極的に調べ、考え、行動してみる。
それに伴って身の回りや習慣が変化すると思いますが、自分は結構変えたつもりでも周りの人は意外と気が付かないです。
「やってみたいけれど、○○の真似してるのに気が付かれたら恥ずかしいな…」という気持ちもあるかも知れませんが、そんなに極端な変化でなければ、自分が思っている以上に他人は気が付かないものです。
良いなと思ったことは、臆することなくチャレンジした方が良いと思います。
私自身結構真似していろんなものを取り入れてみたりしますが「○○と同じやん」と指摘されたことはありません。
それがしばらく続くと「自分らしくていいね」と言われたりします。
ここまできたらこっちのものです。
とは言っても、またしばらくしたら変化してガラッと変わったりするんですけれどね。
それも自分らしくて良いじゃんと私自身は思っています。
私は新しいことにチャレンジするという意味でも、自分自身を変化させるという意味でも、入り口は「真似すること」から始めています。
それでは、また次回。
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