スポーツでも勉強でも上達するには時間が必要です。
では時間をたくさんかければ必ず上達するか。
そう言われると、決してそうでもないと感じています。
「3時間やれ!」と言われてやらされる練習と「30分しよう!」と自発的に練習をするのでは、圧倒的に後者の方が上手くなるはずです。
自分で決めた方がやり甲斐もあるし、モチベーションも高く取り組むことができます。
「やらされる」だけでは身に付かない。
興味や関心が薄いことってなかなか頭に入らないものです。
私も経験がありますが、興味がないことって頭が情報をシャットアウトしているような感覚に陥ります。
私はカードゲームやボードゲームが今まで全く興味がわかなくて、何度か誘われてその都度教えてもらいながらその場を過ごしたのですが、何も頭に残っていません…。
次に同じことをやるときには何も覚えてなくて怒られる始末。
すごく丁寧に教えてもらったんですけどね。すみません…。
「やらされる」ことってそれに近い状態で、時間をかけたとしてもなかなか身にもつきません。
反対に興味や関心が強いことは、何でも頭に入ります。
上達するためにちょっとしたことでも吸収しようとするので、まるでスポンジのような感覚に陥ります。
気になることやわからないことがあれば、あらゆる方法で解決しようとするはずです。
そして知れば知るほど楽しくなって、それがまた次に繋がって。と良い連鎖になります。
自分から「やる」と決めたことはモチベーションも高く、時間が少ない中でも早いスピードで上達していきます。
初学者が経験者をどんどん追い抜いているのを目の当たりにして
私は専門学校で何年か講師として簿記を教えていたのですが、高校から簿記を既に経験している生徒と専門学校から初めて簿記に触れる生徒が同じ教室という状態でした。
経験者の中には高校生の時に日商簿記検定2級を既にとっているような生徒もいたので、パッと見るとかなりの実力差があるように感じていました。
「この先も経験者が先導して初学者がそれについて行くようになりそうだな」
そう思いながら教壇に立っていました。
ところがどうでしょう。2ヶ月程度で経験者と同じ資格を取得して、半年後にはさらに上の資格にまで合格するまでになりました。
講義ではどうしても教える立場と教えてもらう立場の構図になってしまうため、何も考えずに受け身になってしまうと教えてもらう側は「やらされる」勉強になってしまいます。
その初学者は教えてもらう立場ながら「自分でやっている」意識が強かったように思います。
あと、大変なはずなのに楽しそうでした。
講師業を通して「やらされる3時間より、やる30分」を体現されたものを目の当たりにすることとなりました。
「やらされる時間」を如何に「やる時間」に変えられるか
だからと言って「やらされる時間」自体を一切やめてしまうことはできません。
先の例で言うと、教えてもらうことができなければ合格に必要な情報が手に入りません。
如何に「やらされる時間」を「やる時間」に自分で変えられるかだと思っています。
モチベーションが上がらなかったりやる気が起きない時は結構「やらされている」ことが多いような気がします。
その時間をどう改善していくか。
- 外部から刺激を受けて「やらされる」時間から「やる」時間に変える
- 興味関心が出る部分を見つけて、そこからやる
- その時間は本当に自分にとって必要なのか考えるきっかけにする
- どうしてもダメならそこから撤退して、他のやりたいことに注力する
目標を達成するといった意味でも大切なことですが、何より限られた自分の大切な時間を少しでも多く「やる時間」にした方が楽しく過ごせます。
それで良い結果に繋がれば、こんなに嬉しいことはありません。
私自身も「やる時間」を多くできるように、日頃から心がけています。
「やらされてるな〜」と感じたら、その時間を見直すようにしています。
結果は日々の積み重ねでしかないので、できることなら楽しく積み重ねたいものです。
それでは、また次回。
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