手放す痛みを経験して、身のまわりの物をアップデートする

手に入れてみたものの「失敗したー」という経験は誰しも一度はしたことあるのではないでしょうか。

このような経験をしないようにするというより、遅かれ早かれどこかで経験することだと思っているので「これで次は大丈夫」と割り切ってしまいます。

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痛みを知ってアップデートする

頑張って買ったものほど、手放すのがなかなか難しいです。

勿体無い気持ちにもなるし、損したような気持ちにもなるでしょう。

売ろうとしても買った時の金額が忘れられなく、躊躇することもあるでしょう。

ですが、そういった物ほど思い切って手放すことで、物に対する考え方がアップデートされます。

手放す痛みを知れば、嫌でも学習するものです。

反省も含めて自分の傾向(好みや性格、利用頻度)が、買う前に考えるより痛みを知ってからの方が断然深く考えられます。

そしてその後は「二度と同じ経験はしなくない」と思うはずです。

買ってしまったことに後悔しても仕方ありません。

当時の自分が本気で欲しかったものでしょうし、奮発して買うぐらいなのであれば、遅かれ早かれ買う可能性が高いです。

無理に抑え込んで我慢し続けると、後悔するかもしれません。

なので、買うこと自体は決して悪いことではなく、むしろ良かったと考えるべきかなと。

最終的に「失敗したー」と思うことになったとしても、実際手に取って使ってみて経験や満足感もあったはずです。

良かったことも最終的に失敗だと思ってしまったことも全て含めて、水に流すという意味を込めて思い切って手放してしまいます。

物を手放しても、経験と思い出は残りますからね。

苦労して手に入れた物でればあるほど思い切って手放した時の達成感は大きいです。

それが自信になると同時に次は2度と繰り返さないという反省と、手放すまで十分に使った満足感はしっかり残ります。

これは単に手放せずにずっと持っておくだけでは、味わえない経験です。

手放すということは、自分が一つ成長したと考えましょう。

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物を持ち続ける弊害

誰しも無駄な出費はしたくないはずなので、買う前に十分考えるはずです。

しかしながら、買う前にどれだけ考えたところで、失敗する時は失敗します。

そもそも理想は常に変わりゆくものだし、その時の価値観で身のまわりの物も当然変わります。

物とうまく付き合うのは、その時の自分が求めているものをしっかり味わって、変わったら無理に持ち続けるのではなく、潔く手放して次に進む。というのがむしろ自然なことだと思っています。

物に執着して手放せず持ち続けるのは自分の変化を抑え込んでいるとも言えるでしょう。

僕が最近思い切って手放した物はというと、アタッシュケースです。

このブログの記事にもしたことがあります。

興味がある方は、ぜひ読んでみてください。

当時の僕からすると憧れのアタッシュケースで、結構な金額もしましたが思い切って買いました。

末永く使っていきたいと書きましたし、当然ずっと使うつもりでした。

使ってみて良かった部分もたくさんありましたが、使ってみないと分からなかった不便と感じる部分もたくさん経験できました。

そして数年の間で、僕自身の価値観も変わっていき利用頻度がめっきり減っていきました。

手放すことにそこまで躊躇わなくなった僕でさえ、このアタッシュケースを手放すことは躊躇しました。

ですが、使っていない物を無理に持ち続けている自分を手放さないことには何も変わらないと思い、手放す決断を下しました。

手放した瞬間、後悔は一切なくスッキリしました。

手放すことに痛みはあったけれど「もう今の僕には必要ないな」と未練も一切消え去りました。

おそらく今ずっと持っていたら、モヤモヤしているでしょう。

このアタッシュケースを手放したことにより、私が持っているバッグは全部で3つだけになりました。

もし手放さなければ、

アタッシュは仕事のフォーマルシーンで。カジュアルシーンは別のバッグで、プライベートはこのバッグで…。

と増えていたかもしれません。

手放したことにより、必要な物を持つという今の自分の価値観に順応することができました。

僕は必要な物しか持たないと決めていますが、買い物をしないというわけではなく、それなりに買っています。

新しい物だったり、便利そうな物だったり、興味がある物だったり。

増やすことと同じぐらい意識的に、時には痛みを感じながら手放すことをしているからバランスが取れているのでしょう。

その繰り返しで、自分の身のまわりを洗練していっているような感じですね。

それでは、また次回。

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