わかっていても得点できなければ(ミスをしてしまうと)わかっていない人と同じ

テストで採点が終わって答案用紙が返却されます。

採点された自分の答案用紙を見直していると、

「あっ!この問題わかっているのに、ミスしてしまった…」

私自身こんな経験を山程してきました。

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試験では答案用紙でしか自分のことを見られない

試験では自分の能力が答案用紙でしか測られません。

「自分はこれだけの知識や能力があるんだ!」

それも解答用紙に反映できなければ、第三者である試験官には伝わりません。

試験に合格するために解答用紙に解答することを「自分の知識の表現」と考えています。

アウトプットの重要性とも言えますが、身に付けた知識や能力(インプット)を最大限に解答用紙に反映(アウトプット)する。

上手く自分の持っている知識や能力を表現(解答)できなければ合格できないわけです。

インプット中心に偏っていると、どうしてもアウトプットへの意識が疎かになります。

そもそもインプットがされていなければアウトプットする元がないので、まずはインプットが大事というのも確かです。

しかし最終的に合格することまで考えると、それではまだ道半ば。

合格する(試験官に「自分は合格するための知識や能力を備えてる」ということを伝える)ためには、如何に的確に表現できるか。

最後はその部分が重要になってきます。

わかっているけれどミスをしてしまったら「わかっていない人」と判断される

私自身、山程呆れるほどミスを経験してきました。

解答が終わった後に「しまった」と感じたことも何度もあります。

「わかっているのに…」という部分があるだけに、とても悔しい気持ちになります。

返却された答案用紙の該当箇所ももちろんバツ。

その間違った部分に点はありません。

一方で、全くの勉強不足で解答ができていない人も当然ながらバツ。

全くわかっていなくて間違ったのか、わかっているのにミスで間違ったのか。

解答の事だけを考えると、間違いに差は生まれません。

私自身たくさんのミスをしてしまって、試験勉強の時に強く意識したことが

「ミスをしてしまったらわかっていても、わかっていないのと同じ」

せっかく勉強したことも、得点に繋げられなければ何の意味もありません。

むしろ「これは解ける」と判断して、考えて悩んで解答したものが間違っていたら得点には結び付かず、時間のロスにしかなりません。

勉強したことの最終的な成果は合格という結果ですが、もっと細かく考えると合格するための得点を重ねるまでの一つ一つの問題を正答させることだと思っています。

正答させるための勉強の最後の詰めが甘ければ、今まで一生懸命勉強したことが水の泡になってしまいます。

それぐらい最後の解答は大事なこと。

そう考えると自然と解答にも丁寧に、慎重になります。

自分への戒めとして、受験生の時は強く意識しながら普段の勉強に取り組んでいました。

試験が終わってから悔しい思いをしないために

試験においては、ミスで合否を分けてしまうぐらい大きな影響を及ぼすことも十分に考えられます。

本試験直後にミスに気がついた時の心境たるや、思い出しただけで辛くなります。

それこそ冷や汗が一気に出て、頭の中が真っ白になってしまうほど。

そんな思いをしないために、身につけた知識(わかっていること)を確実に得点できるようにしたいものです。

合格した時の感覚としては

「わかるものは全て得点できた。わからないものは堂々と飛ばしてきた」

反対に

「あの部分わかっていたんだけど、ミスしてしまった」

この感覚があった年は、残念な結果だった印象です。

後悔先に立たずです。悔しい思いをしないためには今のうちから合格するための解答への意識をより一層高く持つようにしていかねばなりません。

それでは、また次回。

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