受験勉強をしていると「量より質が大切だ」とか「質より量だ」とか聞くことがあると思います。
この言葉だけに振り回されるのも良くないと思いますが、実際問題気になるところ。
私も受験生の時は「どっちが大事なんだろ」と考えたことはあります。
勉強の質と言われましても…
勉強において「量より質」と「質より量」のどちらを周りから良く聞いていたかというと、前者の「量より質」のような気がしています。
実際のところはさておき、仮に受験勉強を始めたてで先生に「勉強は量より質が大切です」と言われたところで、そもそも「質ってなんだ?」となってしまいそうです。私だったらそうなります。というかそう思っていました。
質が求められる代表格として「集中力」だったり「効率」というキーワードがよく使われるかと思います。
「高い集中力で勉強に取り組む」
「効率良く勉強を進める」
どれも言われたら大切な事は重々承知です。
頭ではわかっていても、実際できるかどうかは別問題。
私は受験生活を振り返ってみてどうだったかというと「量から質へ」というような感じでした。
勉強始めたての最初から質を求めるのは少なくとも私には無理でした。
試験の要領も掴めていないし、どれぐらいやったら合格できるのかも見えていない状況です。
質はある程度経験して全体像が掴めてきた時にやっと見えてくる「コツ」のようなものと思っています。
その「コツ」をうまく利用して効率良く勉強したり短い時間で集中して取り組んだりと色々と手が打てるようなイメージと思っています。
最初はあれこれ考えるより、ひたすら量をこなすしかないと考えています。
ただ闇雲にやるのはまた別問題。勉強の方向性は見定めた上で進めていかないと勉強量をこなしているのに成果が出にくくなる可能性があります。
社会人受験生の時に質を求めて失敗
私は税理士試験の受験生の時に、最初は受験専念だったためとにかく勉強量をこなしていました。
そして受験生活の途中で仕事しながらの勉強をすることとなったため「今までのやり方ではダメだ」と思い、「勉強の質をもっと良くしなきゃ」と考えるようになりました。
結果的にそれが原因かはわかりませんが、最後の1科目にすごく苦戦することになってしまいました。
勉強量は勉強時間だったり勉強の形跡で何かと可視化しやすいですが、勉強の質は日頃の勉強に取り組む姿勢から現れるものなので、可視化しにくいものです。
私のように無理(必要に駆られて)に変えようとしてしまうと、自分の思っている以下のレベルで自分を満足させてしまう可能性があります。
例えば10段階で量と質がそれぞれあるとしましょう。
例えば現状で量が10・質が5の合計15として「これではダメだ」と考えて量を抑えて質を重視したとします。
自分の中では量を抑えて質を10にしようとしますが、量を半分の5にしたからといって質が10になるとは限りません。
可視化できる量が半分の5になったとしても結局質が7とか8になってしまい(合計12から13)、全体で考えると前より下がってしまうことも考えられます。
私が最後の1科目ので苦戦をしていた頃は、少なからずこの部分があったかと振り返って反省しています。
最後の年は仕事しながらではありましたが、現状を打開するかのように量をこなすようになりました。
結局この年で合格できたのですが、この年を経験して苦戦していた年を比べると自分でも「緩んでいたな」と感じました。
当時は全く緩めている自覚はありませんでした。
少ない時間で効率良く、有効活用できるように工夫しながら仕事しながら勉強に取り組むことで「質を高める」意識をしていました。
しかしそれで結果が出なかったことに変わりはありませんので、それは質を高めた「つもり」になっていただけでした。
勉強量は必要
今となって思うのは、勉強量は必要です。
量といっても人それぞれ環境が違えば生活スタイルも異なるので、形式的な線引きで表せられるものでもありません。
自分の環境下で最大限の量をこなすことをまずしなければ、試験の高い壁は越えられないなと。
それこそ自分はまだできるはずなのに、あえて「質を高めるから」という理由で勉強量を落とすのはもってのほかだと実体験を通じて痛感しています。
今思えば勉強が思うように進められない自分への言い訳にしてしまっていたように感じました。
それこそ勉強に対する悩みは尽きませんが、大抵の場合は勉強不足からくるものかと感じています。
思うように解答ができなかったり、難解な論点で理解に苦しむところが出てきたりしますが、それらを理解して自分に取り込むためにはやはり一定の勉強「量」が必要です。
「質」のことを考えて手が止まっているくらいなら、とりあえず手を動かして「量」をこなしてやってみるしか突破口はないかなと。
量をこなすことで質も良くなっていく
冒頭に私の受験生活を振り返ってみて「量から質」という表現をしました。
一時失敗をしてしまった時期はありましたが、結局結果が出た時を振り返ると量「か」質かと分けて考えるのではなくて、量「から」質へ流れていったようなイメージがあります。
「量」というのはただ闇雲にがむしゃらにやることではありません。量をこなしつつ合格するために必要な情報や知識はしっかり理解した上で取り組まなければいけません。
私自身そのように「量」をこなしていけば自然と勉強の「質」も上がっているような感じがありました。
例えば仕事しながらの限られた時間で勉強量をこなすためにはどうすればいいかと考えます。
スキマ時間を意識的に探してその時間を徹底的に勉強に充てるように動きます。
その上、限られた時間を無駄にしたくなかったので学習計画を綿密に立てるようになりました。
その時間は限られている時間のため、集中して取り組めます。
これらを通じて勉強に取り組む姿勢の質を高めることに繋がったように思います。
解答スピードや解答精度も、量をこなさないと上がっていきません。
現実的に税理士試験は基礎的な問題であれば、見ればパッと手が動くぐらいのスピードで解答することが求められます。
その求められるスピードを習得するためには、何度も繰り返し解くことでしか身につけられません。
手をつけた問題は確実に得点できる高い解答精度も求められます。
その解答精度も演習不足だと迷いながら考えながらでミスを誘発してしまいます。
日頃から量をこなすことで正答体験を染みつかせたり、たくさんのミスも経験して本番でミスをしない対策を練ったりすることで本番の解答精度を高めることができます。
これらを通じて質の高い受験対策ができていたように思います。
やるべきことをやらずして質が上がるわけがない
これに尽きるかなと。
合格するためにやるべき勉強ができていなくて、急に勉強の質が上がってできるようになることは絶対にあり得ません。
勉強をやった「つもり」で思ったように成果が出なくて「質が悪いからなんだ」という理由にして逃げたとしても、それで良い結果に反転することは極めて低いと思います。
どうにも勉強に行き詰まったり思うように伸びている実感がないと感じてしまうことは勉強をしていると必ずあります。
そんな時もまずやるべきことをしっかりやるしか突破口はありません。
ある有名な講師の方が仰っていた言葉が今でも残っているのですが、
「勉強に関する悩みや原因は、圧倒的に勉強不足からくるものだ」
私も近い境遇を経験してまさしくそうだなと実感しています。
そしたら社会人受験生が1日に受験専念組と同じぐらいの勉強量をしなければならないのか。
決してそんなことはありません。
自分の置かれた環境下でできる限りのことを最大限にするということです。
「1日2時間だけ勉強時間を確保できるのであれば、その時間は徹底して勉強する。」
「2時間でやるべきことをひたすらやる。」
どうでしょう。それを意識するだけでもその時間は集中力が高まりそうですし、やるべきことをその時間内でこなそうとするはずなので、効率も良くなりそうではありませんか?
無理に「質を高めなければ」と考え込む必要は無いと思います。
それ以上に合格するためにやるべきことはたくさんありますから。
それでは、また次回。
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